すみれ会

すみれ会 栃木県女性経営者100人

株式会社 東武クリーン

先代社長の意志を継承し、クォリティの高いサービスと 働く人たちの満足を追求するために全力投球

代表取締役

中村 仁美

父父と働くために15年前にUターン

この東武クリーンという会社は私の父が昭和52年に立ち上げました。当時は珍しかった旅館やホテルの掃除を引き受ける会社を作ったのです。旅館のスタッフや仲居さんがやっている仕事もアウトソーシングの時代になると読んだのだと思います。現在は鬼怒川、日光の宿泊施設が主なお客様です。社員はパートを含めて約150人。派遣する旅館やホテルの規模に合わせて、小さいところは4〜5名で、大きいところは30〜40名ぐらいで、それぞれグループとシフトを組んで働いてもらっています。先方の要望によっては清掃だけでなく食器洗いもしますし、仲居さんの代わりに客室のお布団を敷いたりすることもあります。


 そしてもう一つのビジネスが旅行部門。バス旅行の企画運営が主で、これは私が一人でやっています。清掃の仕事が当社のメインですが、実は父が東武鉄道のバス部門に勤めていたこともあって、最初は旅行会社からスタートしているんです。バス旅行を企画立案して参加者を広く募集するなどしていたのですが、いつの間にか清掃の仕事が拡大していきました。旅行部門は細々とやっていたという感じでしょうか。

15年前、私はそれまで東京でアパレル会社に勤めていたのですが、辞めてUターンしてきました。服飾の専門学校を出て、希望の企画の仕事をしていたのですが、なぜか小さい時から、いつかは父の仕事をしなければ、とずっと思っていたんです。その時が来た、

不器用ながらコツコツと 顧客を開拓し、信頼を得る

 戻って父の元で働き出したとはいえ、最初はパート的な働き方でした。それが一変したのが、旅行部門の担当者が辞めて、その後任となった時です。戻ってから2年ほど経っていました。アパレルでもない、清掃でもない、まったくやったことのない旅行の部門です。それでもツテを頼ったりしながら新規のお客様を開拓し、少しずつツアーの申込みをいただくようになりました。一度行かれた方が、「今度はひとみちゃんの会社へお願い」というようにお声をかけていただくなどして…。不器用ながら一生懸命添乗したお陰かも知れません。今はだいぶ慣れましたが、最初は旅慣れていて情報もしっかり掴んでいらっしゃるお客様に助けられていました。今でも思い出すと冷や汗が出ますが、初めてバス旅行の添乗を務めた時は緊張しましたね。挨拶もそこそこに主催者の方にマイクを渡しました(笑い)。旅行部門で採算が取れるようになったのは任されてから3年ほど経った頃からですね。

スタッフとお客様の満足 それを追求するのが私の仕事

 私が社長に就任したのは5年前です。父の体調が思わしくなく、最初はとにかく名義だけでもと言われたのです。約10年間、父の元で仕事をしてきましたが、そのうちの7年間は旅行部門にいましたから、清掃部門のことは端で見ていただけのようなものです。なんとか父や回りの期待に応えたいと思い、ベテランスタッフの方々に助けられながら、父に教えを請いながら必死にやってきましたが、残念ながら平成26年11月に父は他界しました。

 それまでは病床にあるとはいえ、父を頼っていた気がします。いろいろとアドバイスを受けましたが、今考えると当時は、父の信念や思いを100%自分のものにできていなかったと思います。一生懸命やっていたつもりですが、社長という立場に立たされた自分のことでいっぱいいっぱいで、回りを見る余裕もなかったような気がします。スタッフにもずいぶん迷惑をかけたのではないかと反省しきりです。

 当社は私も含め、役員はすべて女性です。父は人のためを考えながら行動する人で、「社員とともに将来を作る」というのを会社の経営理念にしていましたが、さらに「笑顔・感謝・真心」をモットーに、女性ならではの気配りと心遣い、おもてなしの心でこれからもお客様や皆様に愛される暖かい会社にしていきたいと思っています。いま、この清掃業界も人材不足が大きな問題になっています。クォリティを落とすことなく、高いサービスを提供するにはどうしたらいいか、いろいろ悩みはつきません。さらに会社経営の難しさに戸惑うこともありますが、とにかく働いている人たちが満足できるよう、そして私たちのお客様に喜んでいただけるように全力を注いでまいります。

profile

鹿沼市出身。祖父は東武鉄道の樅山駅駅長を務 め、父も東武鉄道で働いたという東武一家。本 人も小さい頃は、東武バスのガイドさんになろ うかと考えたことも。高校卒業後、専門学校へ 行きアパレルメーカーに勤務。パタンナーや企 画の仕事に従事する。15 年前にUターンして今 に至る。息抜きは大好きなお酒と歌、旅行。