すみれ会

すみれ会 栃木県女性経営者100人

ダンススタジオ サイトー

自分を磨いてくれた社交ダンスという財産多くの人にダンスの魅力を伝えていきたい

オーナー

齋藤 美菜子

スポーツ大好きな自分が社交ダンスと出会った

私は夫とともに大田原市で社交ダンスのスタジオを経営しています。ダンスとの出会いは20歳の時。高校を卒業後就職して2年目の時のことです。子どもの頃からスポーツが大好きだった私は、小学校〜中学〜高校時代とバレーボールをやっていました。高校時代には3年間キャプテンも務め、スカウトから声がかかっていた私は、卒業後はプロとしてバレーボールで生きていこうと思っていました。しかし、その道を選ばなかったのは父のひと言でした。「その身長のお前が全国で勝負できると思っているのか」。確かにプロの道に進むには私の身長は低い。その頃セッターは身長の低い選手もいましたが、当時の私にとって父の言葉は説得力がありました。そして、私はバレーボールを諦め、地元銀行に就職をしました。

私が就職した当時は社交ダンスが流行っていました。社会人になってからもなにかスポーツはしたいと思っていた私は、パーティーでちょっと踊れればという軽い気持ちで、公民館のサークルに足を運んでみました。それがダンスとの出会いでしたが、「この趣味は一生続けていきたい」と感じました。まさかプロになるとは思いませんでしたが、それほど社交ダンスは魅力的だったのです。社会人になっても続けていたバレーボールやスキーも辞め、私はダンスにのめり込みました。

ダンスに魅力に感じたのは、まずなんといっても音楽の魅力です。そして、華やかなドレスに身を包み、競技会で踊れることにも憧れを感じました。やがて、社会人サークルの講師の先生に紹介された現在の夫とカップルを組み、22歳で結婚。二人でダンスの道を歩み始めました。

ダンスも農業も子育ても一年中休みのない日々

 私たち夫婦は通常のプロの若い社交ダンサーと違うところがありました。それは、まずふたりとも実家が農家であり、ダンスの仕事と平行して米やトマト栽培を中心に農業もしていたことです。また、ダンス教師の多くはお客様へのレッスンだけでなく競技選手でもあるため、出産時期が遅くなる場合が多いのですが、私は早々に出産しました。さらに子どもが2歳半の頃にプロの道へ進むため東京へ移住。育児とダンスの両立に取組みながら、アマチュアA級の資格を取得しました。そうして東京で3年ほど修行した後、子どもが小学校に上がるタイミングで栃木県に戻ってきました。そして、宇都宮市内のダンススクールへの勤務を経て、自分たちのスタジオをオープン。今思い返してみればダンス、実家の農業、子育てと、全てが同時進行だった時期は大変でした。けれど、だからこそ大きなパワーが満ちあふれてきて、自分をつき動かしていたように感じています。

栃木県の地の利を生かしダンスの裾野を広げたい

スタジオを設立して今年で23年になりますが、栃木県という地の利を生かし、東京では出来ないことをしたいと常に心掛けています。とりわけ工夫をしているのがパーティーです。当然パーティー自体もさまざまな趣向を凝らしますが、那須で温泉を堪能して宿泊もできるプランを作り、ご好評を得ています。また、レッスンチケットのご購入に応じたポイント還元システムも導入し、市場に流通しない希少な品物やお米などをお客様に進呈しております。また、スタジオの建設にあたっては齋藤家の山の杉とヒノキも使いました。温もりのある木材を自分たちの山から調達できるなんて、東京では考えられないことでしょう。

最近、国際ハートフルエクササイズ認定インストラクターの資格を取得しました。これは、ペアで組まずにできるダンスエクササイズで、ダンスを経験したことのない人や、組んで踊ることが難しい方でも気軽にできます。今後はそのような新しい分野からもダンスの楽しさを広め、底辺を拡大していきたいと思っています。私にとって社交ダンスは一生の仕事。ダンスを通じて仕事も家庭も一生懸命に取組めば、生き生きと輝く自分に出会えると信じています

profile

那須塩原市出身。小・中・高校時代
はバレーボールの選手だった。社会
人2 年目の時社交ダンスと出会い、
ダンスパートナーとなった夫ととも
にプロの道へ。テレビチャンピオン
にも出演。現在大田原市でスタジオ
を経営。