すみれ会

すみれ会 栃木県女性経営者100人

石山和装専門学校

着物を学びたいという意欲を以て集う人たちと、 その素晴らしさを後世に伝えたい

副校長
杉野服飾大学家政学部非常勤講師

小寺 敏子

東京の短大で洋裁を極めた後、 さらに和裁の道へ

大正12年に設立され、以来95年の長きにわたり和裁・和装を中心とする服飾の専門学校として多くの方に着物文化の奥深さを伝え続けてきた「石山和装専門学校」。その指導役として、37年間仕事をしてまいりました。現在は副校長として和装にかかわる人材の育成に取り組んでいます。

 宇都宮市で生まれ育ち、宇都宮女子高等学校を卒業した後、東京の杉野女子短期大学の家政学部被服科へ。当時、女性は学校を出た後はお茶やお花のお稽古、家事手伝いなど〝花嫁修業〟をするのが一般的でしたが、母の勧めもあり、自分自身もファッションに興味があったので進学することにしました。2年間の東京生活で洋裁や服飾の基礎を学び、短大修了後は地元の宇都宮へ戻ったのですが、今度は和裁の技術を身に着けたくて門戸をたたいたのがこの石山和装専門学校でした。


ここで4年間、和裁のすべてを叩き込まれ、その後はそのまま教師として生徒たちを教える立場となりました。やがて、この学校の経営者の子息であった主人と縁あって結婚し、以後二人三脚で学校経営に携わっております。

着物文化伝承のための 優れた人材育成を目指して

本校は、古くから連綿として続く着物文化の伝統の上に新たな美の概念を創造し、和装を中心とした服飾全般における知識・技術を養成するための専門学校であり、生涯教育の場として、若い人のみならずさまざまな年代の人たちを対象に豊かな情操教育を提供していくことを理念としています。それに基づくさまざまな取り組みの成果もあり、現在は着物を深く知りたい、自分で作ってみたいという生徒たちの熱心な学びの場として周知されていると自負しています。


元来、着物は日本人の民族衣装であり、女性の憧れでもあり、その美しさは諸外国のさまざまな伝統的衣装と比較しても突出したものでした。しかし、残念ながら生活様式の変化にともない着物に袖を通す機会は減り続け、非常に特別な存在になりつつあります。私たちはそのような着物の素晴らしさ、芸術性を現代の人に訴求し、後世に伝えたい、〝和裁をやってみたい、着物を学びたい〟という意思、意欲のある人を一人でも多くすくい上げて学びの場を与えていきたいという気持ちで学校を運営しています。その想いは確実に生徒一人ひとりに伝わり、多くの人が和裁を通して楽しみながら着物の文化の真髄を学んでいるのではないでしょうか。

生徒たちに教え、教えられる 幸せの日々に感謝して

折しも2020年の東京オリンピックの開催を控え、今後はこれまで以上に日本のカルチャーが世界中から注目を集める時。着物は日本のファッションの原型であり、自国の文化を外国に伝える上で欠かすことができないものだと思います。私個人としては、ぜひ着物を通して国際交流がはかれたらと願わずにはいられません。


以前は、着物を学びたいと考える女性は多くいましたが、時代が変わるに従い、残念ながらその数は減りつつあります。生徒が減少したからといえど、学びたいという意欲のある人がいる以上、教育の場である専門学校としての立場を変えるわけにはいきません。少数に対する手厚い指導を旨とし、実践をしています。事業の種類を問わず、これからは人を惹きつける力、企画、提案がなければならない時。私たちは常にそれを意識し、学校運営にあたらねばならないということを肝に銘じながら後の世に着物の伝統文化を伝えていきたいと考えています。


私も60歳半ばを過ぎましたが、毎日やるべきことに追われる幸せをしみじみ感じる日々。学校に集う若い人たちと交わりながら教え、またある時は教えられて過ごすことのありがたさを実感しています。そんな時、年齢は関係ないのだと改めて気づかされます。


私のモットーは疲れたら休む。決して無理はしない。事業を手がけている身にとっては、簡単なようでなかなか難しいことですが、それを心がけながら、和裁、そして着物文化の伝承を生きがいとしつつ、今後もできる限りその裾野を広げていきたいと思っています。


学校へ集うさまざまな年齢の生徒たちと、和裁の指導を通して関わり続ける日々。毎日を幸せと感謝の気持ちで過ごしています。

profile

専門学校副校長。
宇都宮市生まれ。宇都宮市在住。
東京の短大で洋裁を学んだ後、和裁の道を歩む。石山和装専門学校の教師時代に当校主宰者の子息である小寺氏と結婚。現在は副校長として和裁の指導にあたるほか、杉野服飾大学家政学部の非常勤講師として、週1 回教壇に立つ。

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