すみれ会

すみれ会 栃木県女性経営者100人

ダンサー / コレオグラファー

Nothing is mistakeを座右の銘として 身体が創りだす「楽しい時間」を提供したい

妻木 律子

生き方を模索するうちに 「法学部出」のダンサーに

ダンスを始めたのは姉が習っていたのがきっかけです。姉はクラシックバレエでスタートし、途中からモダンダンスとチェンジしましたが、私は最初からモダンダンス。でもこれはあくまでも趣味として考えていて、将来はジャーナリストになりたいなんて考えていたんです。家が商売をしていたこともあって、女性が働くのは当たり前、自分もそうだと思っていました。それで立教大学の法学部に進みました。そこの理念が「生きるための学問を学ぶ」というものだったんです。


大学1年を終えた時、自分の生き方を考えてみようと、ある宗教家が啓いた小さなコミューンに向かいました。そこで出会った施設の管理人の男性の生き方に触発されました。企業に勤めて上を目指すような生き方ではないけれど活き活きと毎日を送っている。その充実感を見て私も自由に生きていけばいいんだと考えた時、「踊る」ということが自分の中で改めて再浮上してきたんです。


ただプロになろうと最初は考えていませんでした。大学に行きながらスタジオに入門しましたが、たまたまいろいろな偶然が重なって舞台に立って踊るようになっていた…。大学4年の時には現代舞踊協会主催の公演に作品を発表することになり、そのプロセスを卒論にして大学を卒業しました。卒業後はアルバイトをしながら稽古したり、劇団で子供達にダンスを教えたり、もちろん舞台にも立っていました。法学部出のダンサーと随分不思議がられましたが。

故郷、宇都宮の地にダンスの拠点を構築

数年頑張ってやっていましたら、ジャズダンスブームが起きて、宇都宮のカルチャースクールで教える仕事の依頼があったり、自分の教室を開いたりと、東京と宇都宮を行き来するように。90年には文化庁派遣在外研修員として1年間ニューヨークに留学するチャンスをもらいました。日本と違って欧米はダンスを仕事として受け入れてくれる環境が整っていて、そこで受けた刺激は大きかったですね。帰国後、もっと高みを目指して勉強しなければと思っていた時、95年に国民文化祭・とちぎ95というのが栃木県で開催されたんです。その実行委員に連なり、さらにオープニングの振付の仕事をいただきました。これがまたもう一つの私の転機になりました。


東京は街の規模が大きすぎて日常の中で踊ることへの反響を身近に感じにくいんです。その点、宇都宮ならちょうどいい大きさの街で自分へ反響がダイレクトに感じられるのではないかと思ったわけです。それで住まいを宇都宮に移しました。99年に本番の舞台上でケガをしたことを契機に、身体だけでなくメンタルも大事だと痛感、そして自分がさらに上のレベルに行くためには普通にやっていてはダメだと思ったんです。それで「妻木律子ダンストライ」という企画を立て、宇都宮美術館に売り込みました。開館から閉館まで踊らせてもらうというものです。それに引き続き、ダンスの出前ではありませんが、どこへでも踊りに行きますという企画も立て、あちこち出かけました。


そうこうするうちに、活動の現場で出会うダンス好きの方々との充実した時間が積み重なり、皆さんと共に過ごせる拠点が必要だと決断し、この石蔵のスタジオ「be off」にたどり着いたというわけです。

アーティストとしての自分を さらに推し進めた活動を展開

このスタジオは3 つの顔を持っています。一つは私が教師となりレッスンをするスクールという顔。生徒さんは幼児から70代の大人まで、年齢も身体条件も違う様々な人々が、自分の身体と向き合うことを通じて身体を鍛えるだけでなく精神面も高めることを目指しています。もう一つはレンタルスペースという顔。そしてもう一つが、私がプロデュースした企画を実施するという顔です。国内のみならず海外からもアーティストを迎えたパフォーマンスやここでしかできないイベントを立ち上げるというものです。


モダンダンスの面白さは、意味や物語性に縛られずに表現できるところでしょうか。人間の身体ってそういうものをとっぱらったところで「ああ楽しい」と感じさせるものがあるんです。ダンサーは自分の身体で表現をしていくわけですが、モダンダンスの場合、「これは何だろう?」と思いながら観客が主体的にその世界に入っていく。与えられた情報にとらわれない、そこが面白いと私は思うんです。


今年、還暦になります。今後はスタジオ経営者、先生という面より、ダンサー・アーティスト妻木律子をより前面に出した活動をしていきたいと思っています。ニューヨーク留学時、アメリカの音楽家ジョン・ケージの言葉に出会いました。それが「Nothing is mistake」。なにをしても大丈夫、全部OKだよ、と。この言葉に背中を押されました。そういうことが言えるような人間になりたい、そういうふうに心と体が拓かれたところまで行きたいと思っています。

profile

宇都宮市出身。立教大学法学部卒。栃木県文化協会制定 奨励賞(1989 年)ほか受賞多数。1990 年ニューヨーク、 2004 年ロンドンと文化庁から研修員として派遣される。 2004年に南宇都宮にスタジオ「be off」を設立。各地でワー クショップを展開するなど、地域創造プログラムとして 「からだを養う場作り」を有機的に展開している。