ピアニスト
ピアノが架け橋となった出会いは財産 地元に根差した音楽活動を続けていきたい
大山 秀子
恩師との出会いから ピアニストの道へ
物心つく前から、ピアノはずっと私の側にあるかけがえのない存在でした。レッスンを始めたのは3歳の頃。最初に出会ったヤマハ音楽教室の先生は〝これからの音楽教育を引っ張っていく〟というエネルギーに溢れた方で、その先生との出会いがなかったらピアニストへの道はなかったかもしれません。先生から研究クラスを薦めていただき、ドイツ人の先生や有名な作曲家の先生につけていただくなど、数々の得難い経験をさせていただきました。いろんな先生方からご指導をいただきましたが、ピアノだけではなく礼儀作法も学びました。先生方はお料理も上手で、温かい家庭人としての姿やコンサートで凛と演奏している姿を拝見し、「私もあんな風になりたい」と、目標となる背中がいくつもあったことは有り難いことだと感じています。第一回ヤマハジュニアオリジナルコンサートでは優秀賞をとることができ、そのままピアノを続け音大に進学。卒業後はヤマハ音楽教室専門コース講師として、ピアノと作曲の指導を始めました。同時にデビューリサイタルも経験し、思い描いた夢が叶った時期でもありました。
しかし、音楽活動もこれからという時に結婚が決まり日光へ。音楽が人の縁を呼び、日光では大阪音楽大学の同窓生でもあるピアニスト・宮地ゆみさんと出会い、意気投合して翌年にコンサートを開きました。それを皮切りに音楽を通していろんな方との出会いがありましたね。子育てがあり一時音楽活動を中断。40歳を目前にまだまだ勉強したいという思いが湧き起こり、平尾はるなピアノアカデミーの受講を始め研鑚を重ねています。母親になることも偉大な仕事ですが、歳を重ねていくと同時に自分の世界をもっと掘り下げていきたいと思ったのです。そして自然な流れで宇都宮でのリサイタルも実現し、少しずつ演奏活動を重ねてきました。
自宅のサロンスタジオで 定期コンサートを開催
日本で生の音楽を聴くというのは特別なことなのかもしれません。大きいホールでのコンサートも魅力はありますが、本来は室内などの狭い空間で楽器を弾くことが音楽の原点なんです。ドイツ人の先生のお宅では、曲が仕上がると必ずコンサートが行われていました。演奏後、お茶やお菓子が出てきてくつろぎながら音楽をシェアする、そんな光景に憧れを抱き、いつしか私も自宅でコンサートができたら… と思っていたのです。そしてピアノの名器「ベーゼンドルファ」が我が家にやってきた時に自宅を改築し、2005年に自宅スタジオでコンサートを開催しました。
サロンスタジオではリラックスしながら演奏を聴いていただけるのが嬉しいですね。演奏後は、くつろぎながらワインやお料理を味わっていただきます。私自身おいしいものを食べるのが好きなので、どうおもてなしをしようか考えるのも楽しみなんです。11年目を迎え、毎年楽しみにしてくださる方もいらっしゃいます。音楽はCDで聴くのもいいと思いますが、会場いっぱいに包まれるような響きや演奏者の呼吸が伝わる生演奏は、また違った味わいがあるものです。これからも生活の芯として続けていきたいです。
自分を支えてくれたピアノで 美しい音色と癒しを届けたい
私にとって一番幸せなのはピアノを弾いている時ですね。振り返ると音楽の道は生易しいものではなく、学生時代は遊ぶ暇もなくピアノ漬けの日々でしたが、ピアノから学んだことは計り知れないほどたくさんありました。音楽の楽しさはもちろん、いろんな方との出会い、すべてが財産になっています。辛い時もずっとピアノが友達でした。時に母親や妻としての役目が行き届かず、家族に迷惑をかけてしまったなと思う時期もありましたが、子どもたちも主人もピアノの音色が好きだと言ってくれているのが本当に救われます。
日々、より高みを目指している女性経営者の方々は、きめ細かくいろんなことに気を配れる方々ではないかと感じています。女性が組織のトップを走り続け、進歩し続けることは並大抵のことではないと察します。常に気を張っているような時こそ、音楽の生音に触れてリラックスしていただければと思います。そのためにも、もっと音楽を身近に感じてもらえるように、地元に根差しながら若い演奏家たちと盛り上げていきたいですね。これから先、おばあちゃんになってもピアノを弾き続けていきたいです。