益子舘 里山リゾートホテル(株式会社ホテルサンシャイン益子舘)
自分を益子に導いてくれた尊い縁 これからは地域の発展に貢献していきたい
代表取締役 兼 女将
髙橋 美江
厳しい寮生活で学んだ日々 親や人への感謝が生まれた
高校時代、厳しい父への反発から反抗期を送っていた私は、卒業後に一転、実践倫理宏正会本部に奉職しました。毎朝3時40分に起床、5〜6時は正座、先輩への礼儀作法にはことさら厳しかった修行のような日々。その2年間の寮生活の中で、私は親への感謝や人に対する礼儀など人としての土台を身をもって学んだように思います。その後父の経営する印刷会社へ入り、配達から印刷業務、事務まで一通りの仕事をしていましたが、23歳の時、知人の紹介からお見合いをすることになりました。そして、夫と結婚することになるのですが、私の初めてのお見合いは義父との出会いに始まり、義父とのお見合いだったようなものです。初めて会った日、義父は私に将来の夢を熱く語り、早くも周囲の人たちに私を嫁として紹介する有様でした。でも、私は不思議とこのお父さんのために、力になりたいという想いがわき上がって来ました。それは、心をつかまれたという感じだったでしょうか。
初めて経験する旅館の仕事 無我夢中で駆け抜けた日々
お見合いからわずか6ヶ月後の平成3年4月に結婚し、当初はホテルサンシャイン鬼怒川の社長室所属秘書として仕事を始めました。朝から晩までホテルで山のような仕事をこなす日々。義父は厳しかったけれど、食らいついていきました。お客様や従業員のために、身内は常にひとりは館内にいるよう指示をされたので、夫婦で旅行もできません。朝寝坊などしようものなら怒鳴りつけられます。でも、私もお客様を前にするとスイッチが入り、つい体が動いてしまいます。出産して2ヶ月後には現場に復帰。可愛い我が子でしたが、初めての子は夫の母に面倒をみてもらいました。その後2人の子どもに恵まれましたが、夫のおばにも子どもの育児を助
苦難がきっかけで誕生した 新しい取り組みの数々
ホテルサンシャイン益子舘は、1991年に開業した日帰り温泉施設に始まり、1992年にホテルとしてオープンしました。私は当初から女将を務めましたが、14年後の私が38歳の時に義父から経営を引き継ぎ、代表取締役兼女将となりました。そして、これを境に義父は経営に一切口を出さなくなりました。私は責任が一気に自分に来たことを実感しましたが、一番大きな変化は、社員の生活を守るという意識が生まれたことでした。「真剣に会社を経営しなければ」と気持ちを改め、以来私はお客様を迎え、夫は営業という役割分担で支え合っています。
しかし、苦難もありました。とりわけ痛手だったのが東日本大震災です。当時はリーマンショック後の回復基調にあった頃でしたから、なおさらでした。震災後の余震で建物の配管が破損し修理を余儀なくされたうえ、その後1年以上お客様が戻ってこないのです。幸いだったのが震災復旧の電気工事関係者による宿泊需要があったことです。その間、私たちは次の手を考える時間を得ることができました。そうして新しく誕生したのが「女将の食べたい料理プラン」や地元の食材を活かした「里山スイーツ」です。館内もリニューアルしました。こうした取り組みによって、ようやく経営が持ち直しました。苦難がチャンスに変わったのです。私どものホテルは学生や企業などの団体から個人まで幅広い客層のお客様がいらっしゃいます。ですから経験豊かで温かみのある年配の方も必要ですし、若い従業員の育成も必要です。5年前からは新卒を採用し始め、育成プログラムも作っていますが、社員には仕事を通して自己成長をして欲しいと願っています。
義父が亡くなった今、私を育ててくれたその存在の大きさを改めて感じます。また、益子は祖母の生まれた土地でもあり、なにか必然的な縁に導かれてここへ来たような気がします。そんな大切な縁をつなぐべく、今後は地域の発展に貢献していきたいと思っています。