すみれ会

すみれ会 栃木県女性経営者100人

花の宿 松や

身の丈にあった経営でバブル崩壊時の危機も回避お客様との心の交流と感動がすべて

女将

臼井 静枝

私を変えた運命の出会い助けられて今、ここに

そもそも私は旅館の女将になるなんて思ってもみませんでした。たまたま一緒になった人の父親が倒れたために、家業の旅館を継ぐことになり、否応なく女将になったのです。その頃は雨漏りはする、すきま風は入ってくると、施設はボロボロ。旅行代理店の人に「お客様に風邪をひかせる訳にはいなかないから紹介できない」と言われて、営業活動はたった1日でやめたほどです。従業員に払うお金もない、お客様もなかなか来ない…。夫がもう旅館を止めて出ていこうといったくらいです。


そんなある日、1枚の竹久夢二の絵が目に止まりました。模写ですが、小さな男の子の手を取った女性の後ろ姿が描かれていて、これを見た時、絵の彼女は水の中に飛び込みたいけれど、男の子がしっかり手を握っているので飛び込めないんだろうなと思ったんです。必死に耐えて生きようとしている女性の絵、それを見た時に私も頑張ろうと思って腹をくくった。以来何も怖くなくなったんです。


そしてもう一つの出会いが相田みつを先生です。ある日、修学旅行で貸し切りのところに予約もなしで突然いらした。事情を説明してお断りしたのですが、3時間後に再びやって来て「蒲団部屋でもいいから、どうしても泊まりたい」とおっしゃる。そこで何とか部屋を都合して、夕食の時に伺いましたら先生は「何がそんなに悲しいんだい? 何がそんなに辛いんだい?」と聞くんです。そりゃ、社員に払う給料はない、お客様は来ない、旅館はボロボロ、悲しいことばかりです。そんな状況を一目見ただけで察したのでしょうね。以来、先生は当館をご贔屓くださって、講演旅行に出ては鬼怒川にこんな宿、こんな女将がいると宣伝してくださって…。本当に有難い出会いでした。

困難にも負けない女性経営者としての女将

バブルがはじけて、ここ鬼怒川・川治温泉も打撃を受けました。さらに東日本大震災と原発事故による風評被害で観光客も激減しました。しかし、このままではいけないと思い、鬼怒川・川治、日光、奥日光、湯西川の各温泉街にあった各女将会を包括した「日光市女将の会」を平成23年6月に立ち上げました。とにかく、生き残りをかけて皆さんと日光の温泉をアピールしようと全国各地に出ていくなど、一緒に頑張っています。


振り返ってみれば、昔は「旅館の女将と料理屋の女将は酒と色を売る水商売」と言われてきました。しかし、外国人旅行者を増やすための「観光立国推進基本法」が平成18年に成立して、ようやく私たち女将も経営者として認められるようになったんですね。昔を思うと感慨深いものがあります。

感動の数で人生は決まるこれをモットーに今日も

私どもは営業マンも案内所も置かずにずっとやっていますが、これまでやってこられたのは、ひとえにお客様、そしてスタッフの皆さんのお陰だと思っていす。バブルの時も無理に建物を大きくしなかったことが幸いしました。もっとも、それまで、「観光地にも美術館を」と、日光人形美術館、相田みつを心の美術館、日光竹久夢二美術館と三つも建てていたので、それどころではなかったんですけれどもね(笑い)。


とにかく素敵なお客様に恵まれています。長くお付き合いいただいているリピーターもたくさん。最初にお泊まりになった時、トラブルがあったのになぜかずっとご贔屓くださる方もいます。お馴染みのお客様はいらっしゃると「ただいま」と言って宿にお入りになる。私どもも「お帰りなさい」とお迎えし、翌日お帰りになる時は「行ってらっしゃい」と送り出す。そんな心と心の交流を続けてきました。相田先生はよくおっしゃっていました。「感動しろよ。感動とは感じて心が動くことで、人の心は理屈では動かないぞ。その感動の数で人生は決まるんだ」と。


そしてスタッフも素晴らしいんです。私が女将でいられるのもスタッフのお陰、感謝は忘れません。毎日スタッフを集めてミーティングをしていると、顔を見るだけで、彼ら彼女らの状態が分かります。何かあればこちらから「どうした?」と声をかける。気持ちよく働けるように心づもりは欠かせませんね。だから毎年スタッフの誕生日には私からラブレターを送っています。社長である息子からの花束を添えて。否応なく始まった女将業ですが今は天職。あの世に行っても三途の川で旅館をやると、お客様にも常々いっているくらいですから。

profile

日光市生まれ。平成18 年、鬼怒川の地に3 つの美術館を設立するなど、文化振興、地域発展への取り組みに対して、日本旅館の女将として全国で初めて黄綬褒章を受章する。日光市女将の会を立ち上げ、初代会長を務める。細やかな気配りで来館するお客様の心をとらえて離さない。相田みつを氏いわく「鬼怒川の観音様」

花の宿 松や